大地の芸術祭作品「帰ってきた赤ふん少年」も春の装いに

新潟県十日町市松代地域の小荒戸(こあらと)集落にある、大地の芸術祭作品「帰ってきた赤ふん少年」がこの春、地域の人々の手によって新たな装いをまといました。手がけたのは、集落の棚田農家でもある笠原等(かさはら・ひとし)さんをはじめとする地元住民の皆さん。

赤ふん大将、春の衣替え──「青苧源太」誕生
注目すべきは、「赤ふん大将」として親しまれてきた像の装いの変化です。これまで真っ赤なふんどし姿でおなじみだった彼が、この春からは新たな装いで登場しました。その名も「青苧源太(あおそ・げんた)」くん。
かつてこの地域では、青苧(あおそ)と呼ばれる苧麻(からむし)の繊維が栽培され、越後上布や小千谷縮といった高級織物の原料として重宝されていました。この「青苧」の苗字を冠し、名前の「源太」はこの地域の米作りを支える「源太(げった)川」に由来するそうです。

さてこの「青苧源太」の物語を少しだけご紹介します。
小荒戸村の繁栄を支えた男、青苧源太の物語
青苧源太くんの物語によれば、彼は小荒戸村の礎を築いた富沢家の繁栄の立役者とされています。特に功績が大きかったのが、松之山へと続く道の開拓です。源太は父と共にこの道を15年もの歳月をかけて整備しました。この道が完成したことにより、小荒戸村は交易で大いに栄えることができ、功を認めた旦那様から「青苧」の姓を賜ったと伝えられています。
また、源太は温泉を発見したという逸話もあり、その温泉水は温度こそ低かったものの、昭和30年頃までは地域の人々が容器に汲んで持ち帰り、家庭で沸かして入浴するなど利用されてきたそうです。
さらに、渋海川を渡るための橋の建設にも尽力しました。現在の永久橋ができる以前には、源太が中心となって木橋を築いたとされており、地域の交通や生活を支える重要な役割を果たしていたことが伺えます。
地域の力で”物語”が吹き込まれたアート
この「青苧源太くん」として生まれ変わった赤ふん大将は、かねてより小荒戸集落の守り神的な存在として、地域に暮らす人々はもちろん、訪れる観光客にも愛されてきました。毎年冬と春に行われる衣替えの作業には、笠原等さんを中心に、地元の方々が力を合わせて取り組みます。そしてこの春、地域の人々によって”物語”が吹き込まれることで、「帰ってきた赤ふん少年」は小荒戸の自然や歴史、そして人々の営みが語り継ぐ存在へ生まれ変わったのです。

春の装いに一新した「帰ってきた赤ふん少年」、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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